Virus 第二章 〜追跡 1〜


 午後4時を過ぎた頃、萌は新宿歌舞伎町で一組のカップルを尾行していた。沖田学と片桐渚の二人だ。
 AIは同じ学校に〈トロイ〉がいるのではないかと考えていた。別に確証があるわけではない。それは、女の感とでも言うのだろうか、人間の第六感が「〈トロイ〉は近くにいる」と感じている。それは、電子配列で出来ているサイバーワールドでは計算できないほど不合理的な考えだった。「沖田」と言う名前の人間は数多くいる。この地域だけでもかなりの数になるだろう。しかし、萌と融合したAIの考えは、肉体が感じる答えを信頼していた。
 答えが出ているのだから、後は二人の「沖田」を調べ上げればいい。コンピュータを近くに置いている沖田学、生徒会長を務めている沖田総一を比べると学の方が怪しく思える。〈トロイ〉も生徒会長などと言う目立つ人間に取り憑いていることは考えにくい、しかも学の行動におかしな所が幾つかある。
 不本意ながら加代の協力を得た萌は、比較的安全であろう総一の調査を依頼した。
「何で、男なんか調べるの? 私なんかより男に興味持っちゃったの?」
 手伝うと言ったにもかかわらず。いざ男を調べると言うのが解ると一変して不満の声を上げた。
「違うよ。絶対にそんなこと無い……さっ最近、変な男に付きまとわれてるような気がしてたの…この間の事故も何か後から突き飛ばされた様な気がするし…それで、意識が遠のいていく時に『沖田なにやってんだ』って声が聞こえたの。もしかしたら、その沖田って人が私の事を突き飛ばしたんじゃないかって思ったからそれで……」
 この場は、適当な話をでっち上げるしかない。
 ちょっと無理がある嘘だったかなぁ〜と思ったが、この嘘は思いのほか効果を上げたようだった。
「……ひどい……私の萌にそんなことするなんて……解った! 絶対に私が捕まえてあげる! 捕まえてとっちめてやるんだから」
 鼻息を荒くする加代をなだめるのに多少時間が掛かったが「まだ確証がない」と言い聞かせ「絶対に接触はせず行動だけを調べるように」と釘を刺した。
 幸いな事に、制服を着て校庭に出たところで、二人で歩く学と渚を見つけ尾行を開始した。
 後をつけるだけでは意味がない。会話からも情報を得なくては…歩く速度を上げ、学の横を通り抜ける。すれ違う際、小型のマイクを鞄に貼り付け、少し離れてからレシーバーのスイッチをオンにすると二人の会話がイヤホンから聞こえてきた。こうしておけば数十メートル離れても二人の会話は聞く事が出来る。
 後は着替えをするだけだ。同じ学校の制服を着て尾行を続けるのは幾ら難でも無謀すぎる。二人の会話から駅に向かうのは確実なようなので、駅へ先回りすることにした。
 駅へ着くと真っ直ぐコインロッカーへ歩を進め、ロッカーに入れて置いた黒いリュックを取りだしトイレへ向かう。こんな事もあろうかとロッカーにしまって置いた物だ。
 距離はそんなには離れていない。イヤホンで会話を確認しながら急いで着替えをする。
「さぁ、駅にも着いたしこれから何処へ行く? 歌舞伎町へ行こうかと思うんだけど渚ちゃんはそれでいい?」
 渚の声が聞こえてこない。緊張して頷く事しかできないでいるのだろう。
──ありがとう。わざわざ居場所を教えてくれて
 着替えを済ましトイレを出た萌は、制服と鞄をロッカーにしまう。その後を二人が通り過ぎていく。
──何か今日は、ついてるわね。
 僅かに微笑みがこぼれる。萌は、難なく二人を補足し尾行を再開した。
 ホームに上がると電車は直ぐに到着した。二人とは違う扉から電車へと乗り込み少し離れたところで観察する。比較的空いていた車内も都心に近づくにつれ混み出してきた。気を付けていないと二人が乗客に隠れ見失いそうになるが、行き先を知っているのだホームに降りてから補足し直せばいい。マイクも正常に作動しているせいか安心していた。
 だが状況は新宿に着いてもっと悪化した。
 流石、大都会東京……何と人間の多いことか、その流れは新宿駅を中心に四方八方へ支流を作り出している。その一つは太い流れを作り歌舞伎町へと続いていた。
 歌舞伎町は人の波で溢れている。二人を見失わないように距離を置こうとするが、思うように距離を置くことが出来ないうえに、やたらと声をかけてくる男が多い。
──うるさい連中ね。一体なんだって言うの……もしかしてこれがナンパ?
 本人は気にしていなかったが、着替えた恰好が悪かった。歌舞伎町に入って数メートル、既に3人の男に声を掛けられている。
 髪の毛を束ね黒のキャップの中に入れ、黒のサングラスを掛けるが、整った顔立ちを隠すことは出来ない。ストレッチタイプのブルージーンズを履き、胸元の大きく開いた黒いタンクトップからは、うっすらと汗をかいた胸の谷間が除く、その上に少し小さめの迷彩柄のベストを着て、更に胸を強調させている。背中には黒のリュックと一見スポーティな恰好をしているので声をかけずらそうだが、ピッタリとした服装が美しいプロポーションを浮きだたせ、多くの男達の視線を集めていた。
──もぉ〜いい加減にしてよ! うざったいわねぇ〜
 叫びだしたい気持ちを抑え男達を無視し、萌はイヤホンから聞こえる学達の会話に集中した。
「歌舞伎町初めて?」
 辺りをきょろきょろ見回す渚の姿に声を掛ける。渚の性格からして、歌舞伎町へは足を運ばないだろうと予想はしていた。
「……はい…なんだかちょっと怖いです」
 人込みの多さにもビックリしたが、まだ日も高いというのに脇道では風俗の呼び込みの店員や、見るからにヤクザと思わしき人が多く歩いている。
 「東京生まれだろうに…」と思いながらも微笑みながら、少しおどおどしている渚の手を取った。
 いきなりの行動に、ドギマギと学の顔を見返す。その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「人も多いし、はぐれちゃうと嫌だからね。もしかして手を繋いじゃ悪かった?」
 渚は必死に首を横にふる。緊張しすぎて声も出ない様子だ。
「そうか良かった。たぶん、渚ちゃん来た事ないと思って歌舞伎町に来てみたんだ。ここなら、こうやって自然に手も握れるからね」
「……そんな……」
 嬉しさと緊張が入り交じり、笑顔とは言えない笑顔を作る。
「それに、ここなら結構顔が聞くからね」
「……そうなんですか…」
「これは学校には内緒にしといてね。俺…バイトこの街でやってるんだよね。ここなら他の所よりもバイト料が高いんだ」
 屈託のない笑顔が輝いている。その笑顔を武器に、学は歌舞伎町のホストクラブで働いていた。しかも、店では常にナンバーワンをキープしている。学の容姿からすれば当然だったかもしれないが、始めは知人の紹介で、そのクラブの用心棒として雇われたのだった。
 用心棒……年齢を考えればあり得ない話だが、腕には絶対的な自信があった。その自信にも根拠がある。学は日本古武道「武神無刀流」を伝承してきた家系の息子として生まれたのだった。
 「武神無刀流」とは刀を持たずして相手を倒す格闘術である。
 戦では直ぐに刀など切れ味が鈍くなってしまい、時代劇のように何十人斬っても鈍らない刀などあり得ない。その為、戦には皆大太刀を持って戦う。斬り殺すと言うよりも殴り殺すと言うのが本当のところだ。その時に、重い大太刀を振り回すよりも素手で的確に急所を射抜く技こそ有効であった。その技を高めていったのが「武神無刀流」であった。日本で多く見られる柔術とは違い、打撃を主とした武術と言うところが、実践武術と言えるところだ。戦いで柔術のように組んでしまうと止まっている時間がどうしても多くなる。止まっている時間が多くなれば、他の敵にやられる危険が高くなる。確かに組み技には多くの利点もあるが、複数の戦いには向いていない。そこで生まれた格闘術が武神無刀流の源流となっていた。打撃技の派手さが学の興味を引き、幼い時から祖父の厳しい稽古に耐えてきた。
 隔世遺伝と言うのだろう。父には武術の才能が全くなく、祖父は息子への伝承を諦め、孫の学にその全てを伝授しようと考えていた。
 その思いに学は答えた。いや、それ以上に……
 生まれ持った運動神経と格闘のセンス、学は12歳の時には、祖父をも越え「武神無刀流免許皆伝」を受ける武術の達人となっていた。祖父も「これで安泰」と喜んでいたが、中学3年になると格式ばった家での生活に耐えられず。親にも内緒で、東京の高校を受験、合格してしまったのである。それをきっかけに、家を飛び出したのだった。
 何処で覚えたのか、学校へ提出する書類も全て偽造してし、学校もそれを受理してしまった。書類には両親死亡となっているが、当然両親共に健在、今も実家で静かに暮らしている事だろう。学はこの年にして、色々な面で天才的才能を発揮していた。
 親に悟られないよう普通に生活を送り、中学卒業と同時に身一つで東京へ出てきてしまった為、その日の暮らしもままならない筈であったが、学には身につけた技がある。まず始めに向かった場所は東京…いや日本一の繁華街「新宿歌舞伎町」だった。目的はケンカ。真面目に学校に通いながらバイトをしても、大した金額にはならないばかりか、学費さえ払えない。本当に両親が死んでいるのなら奨学金を貰えばいいのだが、それ程根性も曲がってはいなかった。学の計画はこうだった。頻繁にケンカをし常勝を誇っていれば色々な人が集まってくると考えたのだった。
 始めはどうケンカを売ろうと考えたが、それは直ぐに解決した。ちょっと彼氏と離れている女の子に声をかければ勝手に向こうからケンカを売ってきてくれた。声をかけるのは、チンピラかヤクザ崩れの女の子に限る。ケンカに勝つにしても力を売り物にしている輩に勝たなくては意味がない。それに、こういう連中の方が簡単に引っかかってくれる。
 戦国時代、実践の中で生まれた武術と腕っ節の強いヤクザ…結果は一目瞭然だ。当然、学は勝ち続けた。
 その噂は徐々に広まり「活きの若い男がいる」から「化け物みたいに強い男がいる」に変わるまで、さほど時間は掛からなかった。
 そして、学の狙いは的中し、色々な人間が学の周りに集まってきた。その中に、歌舞伎町を牛耳っているヤクザの親分もいたのだ。
 その出会いは偶然だった。いつものように歌舞伎町をふらついていると数十人の男に囲まれた。顔はいちいち覚えていないので、ケンカに負けたか女を寝取られた男が仲間を連れて仕返しに来たと言ったところだろう。殺気立つ男達の中、学は悠然とまるで爽やかな風が吹き抜ける草原の中にいるように佇んでいる。
「誰だか覚えてないけど、サッサとすまそうよ」
 軽い挨拶のような声だった。
 それを合図に男達が一斉に襲いかかってきた。全員の気配を探る…出遅れた男が一人……迷わずその男に標準を合わせ蹴り倒した。学は一瞬で包囲を抜け出していた。輪から抜けた後はアッという間だった。体勢を崩した男達は、学の動きを捕らえることなく次から次へと倒れていく、最後の一人が倒されるまで十数秒の出来事だった。
 このケンカを見ていたのが、今世話になっているホストクラブをしきっている人物だったのだ。余りの腕に、始めは勧誘されたが「ヤクザになる気はない」ときっぱりと言い切った。だが、そのさっぱりとした所が親分にも気に入られ、その後しつこく勧誘をされる事はなかった。そして、紹介されたのが組が取り仕切っているクラブの用心棒だった。新宿はどんな人間、例え未成年が働いていようとも、別におかしくはない。
 親分の言うには、組のいかつい男がうろつくよりも、学の様な色男がうろついていた方が客も安心する。と言う考えだったらしい。しかし、用心棒をしていたのは、数日間だけで、直ぐにホストとして働く羽目になった。
 見回りの為、ホストクラブに顔を出した時の事である。学を見かけた二十歳くらいの風俗嬢が、無理を言って学を席に着かせたのが始まりだった。人当たりの良さとその容姿に、風俗嬢は毎日店に通うようになった。そればかりか他の同僚を連れてかなりの金を落としていってくれたのだ。組も学を用心棒として使って置くよりもホストとして働かせた方が金になる。学も給料が高い方がいい、二つ返事で了承した。そして、勤め初めて数日間で、ナンバーワンの地位に君臨したのだった。
 それでも根っから戦う事の好きな学は、ホストで働きながらも色々な店のトラブル──主にケンカ──を引き受けていた。どんなに訓練を積んだ格闘家が店で暴れようと瞬時の内にその男達を倒していった。
 夜の仕事と学校を両立(?)しながらも、祖父から教わった訓練は決して欠かす事無く続けていた。そして何気なく観たブルースリーの映画に感動し、ジークンドウの道場にまで通い始め、その強さに磨きを掛けていった。
 今では、その美貌と強さで歌舞伎町でかなり有名な人物となっている。しかし、学を見かけても声を掛けようとする者が一人もいないのは、学生服を着て歩いている時、もしくは女の子と歩いている時は、声を掛けてはならないと言う決まりが、いつの間にか出来上がっていたからだ。その為、渚とのデートを楽しむ事が出来た。それなら、他の所へ行けば良いと思うのだが、学は歌舞伎町と言う街が好だった。と言うより他の所をあまり知らなかったのだ。
 手を繋いで歩く二人は、美男美女のカップルだったが、学の目立ち方は渚の非ではなかった。その理由は、女性からの妬みの視線が、渚に集中している。
 その視線を感じながらも渚は手を離すことが出来ない。つかの間の幸せを手放すことが出来なかったのだ。
 二人の前を20歳前後だろうか、3人の男が立ちふさがった。3人が3人とも個性的な恰好をしている。ドレッドヘアーにスキンヘッド、一人は夏だというのに毛糸の帽子を被っている。見るからに悪そうな連中だ。未だにこういう輩が生息しているから歌舞伎町は面白い。
 優男に見えるのだろう。男達はあからさまに学にケンカを売っている。お目当ては渚なのは間違いない。
「可愛い子連れてるね。俺達も仲間に入れてくれよ…それとも、僕ちゃんは帰るかい」
 学を知っている者ならば、この状況見たら笑い出してしまうだろう。実際、何人かの呼び込み店員は、後を向いて笑いをこらえている。
 内心学も喜んでいた。最近では腕を知ってか、店のトラブルも学が顔を出すだけで治まってしまうので、少々ストレスが溜まり気味だ。
「はあ…邪魔しないでくれるかなぁ。今日が初めてのデートなんだから……まぁ遊びたいんだったら遊んであげてもいいよ。但し、一人十万くらい出してくれればだけどね」
「なにぃ〜」
 真ん中にいたドレッドヘアーの反応は早かった。始めから穏便に済ますつもりは無かったのだろう。それとも学の美貌に嫉妬しているのか、五指に銀の指輪をはめた拳が顔面を狙っていた。しかし、学の動きはそれ以上に早い、渚を手は離さず背中に庇い、パンチを放ってきた右手を掴み締め上げる。
「遅いよ。お前等田舎者だろう。俺を知らないのは良いけど、自分の力量を知らないと長生きできないよ」
 男を突き飛ばすと同時に、学のハイキックが3人の男の顔面を捕らえていた…一瞬の出来事…殆ど同時に当たったキックを見極められた者はいなかっただろう。ただ一人を覗いて…
 萌はケンカの一部始終を観察していた。学のキックは常人の速さではない。しかもあれだけ正確無比に急所を捕らえるとは……
──あれだけ無駄の無い動き、優男にこんな動きが出来る訳ない…やはり彼奴の中に〈トロイ〉が……
 未だ確証はもてないが、何時も持ち歩いてるパソコン、人間離れした動き、そう言えば携帯電話も頻繁に使っていた。〈トロイ〉は既にかなりの人間と接触を持ち、種を植え付けているのではないか? そして、その連絡に、携帯を使っていたのでは……
──彼奴が〈トロイ〉なら必ず何処かで接触を持ってくる……あの子を助け出さないと……
 学は、崩れ落ちる男達の横を何事もなかったように歩き去る。渚は今までケンカを間近で見た事など無いのだろう。倒れている男達が気になり、チラチラと後ろを振り返っている。その頬には恐怖のあまり涙がこぼれ落ちていた。
「ゴメンね。怖い思いさせちゃって、ちょっと落ち着くところへ行こうか」
 優しく腰を抱くように歩き出す。
 「来た」萌はそう思った。歌舞伎町を抜ければ新宿のホテル街だ。そこに入られてはまずい。萌は直ぐに行動を起こそうとした。
 しかし、その心配は無用だった。二人は近くにあったカラオケボックスへと入っていったのだ。
 その後ろ姿を萌は呆然と見つめている。
「ちょっとまってよー……彼奴の落ち着ける場所ってカラオケボックスなの……ムードも何も有ったもんじゃないじゃない……」
 カラオケボックスの入口から覗いた学は、渚と裏腹に楽しそうにしていた。
 納得いかないが、現実は現実だ。
 取りあえず何時でも踏み込める用意をして、カラオケボックスの前で待つ事にした。いや、待つしかなかったのだ……

つづく(第二章 追跡2)
拍手を送る

動画 アダルト動画 ライブチャット